こんにちは。
最近地元の図書館で世界遺産年報2013年~2016年まで借りて、一気読みしたので、年度ごとの読んだ概要&感想などを綴りたいと思います!
2013年
・2013年の頃から、危機遺産リストに登録されることを「恥」とする考え方や、諮問機関の評価が容易に覆される状況が起きていた。
・しかも、当時の世界遺産委員会議長国のロシアが「(各国の事情もあるから)危機遺産リストへの登録は慎重でなければならない」という趣旨の発言をした!
・日本ユネスコ協会連盟はカンボジアのアンコール遺跡の修復作業に協力している。否、多くの国が協力体制を敷いて修復作業に尽力している。
・元々、アンコール遺跡は2004年まで危機遺産リストに登録されていた。かつての内戦で遺跡は疲弊し、貧しい人々が一部の文化財を盗み、売り払う事態にまでなっていた!
2014年
・富士山が世界文化遺産に登録。
・世界遺産委員会では、インドの提言により、申請国が審議中に発言できる機会が増えた。(今までは、推薦を行っていた申請国は世界遺産委員会の審議中は発言ができなかった)
・これは、見た目からは顕著な普遍的価値が分かりづらい遺産が増えてきたことが原因(つまり、世界遺産登録物件のインフレ化)で、諮問機関と世界遺産委員会との対話不足も課題である。
・アンコール遺跡では、地元のカンボジア人が修復作業の担い手として奮闘。上の者が教育し、自国の遺産を守っていくことことが重要である。また、どうやら地元の人たち自身、自国の文化等について学校であまり教わらないらしい。
2015年
・同じく世界遺産に登録されたシルクロード跡地には、日本の協力が密接に関わっている。シルクロードは古代日本にも渡るので、最終的には登録範囲を伸ばし、日本の登録も目指すという。
・世界遺産以外のユネスコの事業4つ「無形文化遺産」「ユネスコエコパーク」「ユネスコ記憶遺産」「創造都市ネットワーク」
・世界遺産委員会では環境保全NGOが、政治的働きかけが起きないように、運動を行った。
2016年
・明治日本の産業革命遺産群が世界文化遺産に登録。
・2015年は、ネパールのカトマンズの谷が地震によって甚大な被害を被ったり、ISによるベル神殿の破壊など、度重なる災厄の年であった。
・ISの破壊に対しては、ユネスコがフェイスブックなどSNSを駆使し、「#Unite4 heritage」のキャンペーンを行っている。
・世界遺産条約履行のための作業指針が改訂され、アップストリーム・プロセスが制度化された。これは世界遺産センターや諮問機関が世界遺産の推薦書の作成に対して、技術的な支援を行うというものだ。
・発展途上国などは、世界遺産の推薦書を書くのがなかなか度し難いため、この制度を試験的に実施し成果を一定の収めたことから、導入されるに至った。
感想
なんというか、世界遺産の不均衡が生じている原因について、締約国そのものに問題があるように感じました。何というか、不均衡が起きるのは必然と言うか...
発展途上国や貧困国っていうのは、文化財を保護するための法体制というのが完璧ではないんですよ。現に、先進国でも諮問機関から条件付けられるくらいですし。
これじゃあ、世界遺産委員会で審議される前の諮問機関による調査の段階で、ドロップアウトしますよね。
そのような事実がありながら、グローバル・ストラテジーがあるなんて...正直言って非現実的ですよ。だから、前にも記事に載せていた「逆転登録」が乱発なんかが起きるわけです。
それに、仮にお情けで登録されたとしても、法体制や保存状況が完璧でないのなら、すぐ危機遺産リストに登録されるのがオチですよ。今は世界遺産基金のお金が圧倒的に足りていないのだから、これでは本末転倒な気がします。
しかし、今回制度化されたアップストリーム・プロセスは非常に有効な気がしますよね。
申請したい、でも推薦書の書き方は分からない。「私の遺産は人類に伝えたい素晴らしいものなんだ!」...そんな、熱意のある国に対してその後の政策は置いといて、今は手を差し伸べてあげる。そんな思いやりの姿勢が重要なのではないでしょうか。
将来は、世界遺産登録後も法体制についての提言や解決策を各国で考えていけると理想ですね。
昨今も危機遺産は多いですが、リストから全て無くなるときこそ真の平和な時代といえるのではないしょうか!?