※ネタバレあり
前回の内容に関しては、こちらを参照。
大乱終結
➡西幕府解散により、形の上で乱は終了。勝者はいない。
- 経覚は乱の終了を見ることができずに病死。多額の債務を残して亡くなったが、尋損が上手く対応した。
乱後の室町幕府
- 応仁の乱によって権威が失墜した幕府は権威回復を目指す。➡義政は寺社本所領返還政策を再開。
- その後、義政は妻富子との関係悪化と息子義尚との不和で隠居。出家もするが、その後も政務に度々口をはさんだ。
- 畠山両軍を山城の国一揆で撃退=「スイスの中立武装のようなもの」
- 息子義尚VS父義政の関係は続いたが、近江守護六角氏討伐に向けて、義尚自ら出陣。民衆は歓喜したが、遠征中に義尚は病で亡くなる。
➡後継者(将軍)は父義視の子である義稙(義材)が選ばれる。
この継承問題について
賛成
反対
細川政元(細川は応仁の乱の際、東側であったため、元西軍側の義視が院政を行う可能性があるため)
しかし、この時期、義政が亡くなる。さらに、義視・義稙と日野富子との関係が悪化。
➡小川殿の問題によるもの
そして、次いで義視が亡くなってしまい、後ろ盾がいなくなってしまった義稙。孤立を深めてしまう。
- 遠征中の義稙に対し、細川政元&日野富子・伊勢貞宗が足利義澄を将軍として擁立する。(クーデター) 義稙と義澄という二人の将軍が存在することになり、世代を超えて混迷を極める。
- 下剋上の極致。ただ細川政元のやり方は西軍を模倣したに過ぎない。
以上で内容紹介を終わります。比較的読みやすかったです。
ではでは~