※ネタバレあり
(中公新書, 2016年, 呉座勇一)
- 物語の主人公, 経覚は興福寺のエリート僧侶。
- 興福寺は大和で独自の地位を築いており、武家側であった。(南朝朝時)
- しかし、大和では親幕派の一乗院衆徒の筒井と反幕派の大乗院方国民の越智との紛争が絶えなかった ➡暴走
- この暴走はもはや、興福寺だけではどうにもできず、幕府が抑止力となるしかなかった。
義教の治世で、経覚は義教の怒りを買い、失脚する。この頃から幕府は越智討伐を実行。(義教の怒りを鎮めるブレイン達の死亡、制御するものがいなくなったため)
応仁の乱への道
- 失脚した経覚は再起を図る。元敵であった越智と手を組む。
- 応仁の乱への前哨戦「文正の政変」
背景
この頃、8代義政の時期、3つの政治勢力が存在した。
こうした、3つの勢力のせめぎ合いにより、義政の一声だけではどうにもならない状況にあった。
貞親の「義視が謀反を起こす」という讒言を信じた義政は義視を誅殺しようとするが、義視が細川と山名に助けを求める。後日、諸大名の講義により、貞親らは失脚した。➡文正の政変
この政変により、貞親は脱落。細川VS山名の対立構図ができあがる。
➡先に細川が攻撃を仕掛け、応仁の乱開戦!!
- 中立であった義政も細川側に傾倒してしまい、(将軍旗を細川側に与えてしまい)戦争早期終結は不可能に。
- 東軍は義視を総大将に。義視は、実績作りのため、討伐に参加。
- 内心戦争を終わらせたかった義政(中立)は義視に上洛を命ずる。
義視「(義尚派の)日野勝光ら佞臣を斥けてくれ」
義政「伊勢貞親を政務に復帰させる」
➡危険を感じた義視は西軍へ寝返る➡西幕府成立により、戦争泥沼化
応仁の乱から井楼、城塞的存在である御構の登場により、戦争はさらに長期化。
応仁の乱と興福寺
その後、興福寺再建を行うため、直務へ移行を行おうと努力するが難航する。
- 経覚と尋尊はそれぞれ長所と短所があった。
- 政覚(弟子)をめぐって対立。
応仁の乱と興福寺
- 奈良概説
- 成身院光宣の死
- 朝倉孝景が西軍➡東軍への寝返り
- 古市胤栄 (応仁の乱では西軍に属していたが中立の立場であった) は文化人であったが、文化に嗜みすぎるあまり、家臣は離反してしまう。さらに、新米リーダーであり、この大乱のなかでは経覚や山田宗朝 (14歳年上) に指示や行動に仰ぐしかなかった。
➡ここ一番で、自分が軍事行動を起こし、立ち向かったが、仲間の越智が全く協力せず敗北。➡引退する...
書くの疲れた~、とりあえずここまでです。
主人公は経覚と尋尊という坊さんです。あと最後に書いた成身院光宣という人物も結構登場します。ガンダム00で例えるなら、
経覚が刹那・F・セイエイ、尋尊がグラハム・エーカー、成身院光宣がアリー・アル・サーシェスって感じですw めっちゃ分かりやすいでしょ?w
ではでは~