世界遺産制度が国際平和にどのように貢献できるか、それは世界遺産を通じた国と国との「交流」が鍵になる考えている。
交流とはどこで発生するのか。具体的な例を挙げるとすれば、遺産の修復現場が分かりやすい例である。
カンボジアのアンコール遺跡では、現在でも修復活動が行われている。そこでは、先進国が競争と言わんばかりに修復作業に奔走している。
日本もその例外ではない。日本ユネスコ連盟は、現地でアンコール遺跡の修復と共に遺産修復を担う後進を育てている。
これらの活動は、カンボジアのアンコール遺跡が世界遺産のなかでも代表的な遺産として、世界に名が広がっていたことが大きい。
世界遺産成立の仕組みを見てみると分かるが、遺産保護のために、世界各国が協力する姿勢はまさに国際平和の模範的な姿だ。
世界遺産条約が生まれるきっかけになった、ヌビアの遺産救済キャンペーンについて紹介する。
アスワン・ハイダムの建設によって、ラムセス2世の像があることで有名なアブシンベル神殿が沈んでしまうことを知り、ユネスコは世界に寄附を募った。
その結果、多くの国々から多額の寄付が集まり、アブシンベル神殿の工事を行うことに成功した。
その後もインドネシアのボロブドゥール寺院の救済キャンペンーンを筆頭に、世界の国々が協力して現在の世界遺産を救ってきた。
こうして世界が歩んできた国際協力の軌跡によって、世界遺産条約が今ではユネスコを代表する国際条約になっている。
しかし、時代の流れとともに世界遺産を取り巻く状況は変化し、世界遺産委員会は各国の政治的思惑が絡む舞台に変容を遂げている。
このような状況のなか、私は今一度世界遺産条約成立の「奇跡」、つまり原点の想いを思い返す必要ではないかと考えている。