富士山と紀伊山地
富士山は2013年に登録されているものなので、記憶に新しい方もいるかと思います。
ただ、なぜこれらは文化遺産として登録されているんでしょうか...?
普通は自然遺産な気がしなくはないですよね?
実際、富士山なんかは当初自然遺産としての登録を目指していたようです。(しかし自然遺産として登録するには、あまりに課題が多すぎた)
このふたつの遺産の歴史を振り返ると、やはり自然と人間の間にある深い関係があります。
つまり、自然ある所に文化あり。
富士山も紀伊山地も人間の文明が生まれる前から、今の姿が形成されており、時代時代毎にその都度、人と密接に関わってきました。
そのどう関わってきた~ってことが文化遺産の評価基準として認められているんですよね。(熊野詣とか葛飾北斎が描いた浮世絵とかね)
その根幹にあるのは、自然に対する畏敬の念とのこと。
著者は、そんな自然と深くかかわってきたことを切り捨て、文化遺産の面だけを評価することに疑問を抱いていました。
世界遺産条約の問題点
世界遺産っていうのは、世界190カ国以上の国で結ばれている世界遺産条約に基づいて決められています。
が、近年はその世界遺産条約が破綻の危機を迎えているそうな...
それは世界遺産登録の過程に内包する矛盾点が原因なのです。
世界遺産登録には、まず諮問機関(文化遺産ならイコモス、自然遺産ならIUCN)が推薦された調査し、世界遺産に登録がふさわしいかどうかを判断します。
その後、その調査をもとに数カ国で構成される(交代制)世界遺産委員会にて改めて判断、登録か不登録などの勧告を行います。
...と文面に書き起こすだけなら、シンプルなんですがこのやり方が問題ありなんです。
今、世界遺産っていうのは登録件数が多くなりすぎて世界遺産の価値そのものの信頼性が揺らいできています。
そのため、グローバル・ストラテジーという考え方が決められています。
これは世界遺産の登録の不均衡をなくそう!(現在、ヨーロッパや北米等に偏りまくっている)というもので、世界遺産の登録件数が少ない国に積極的に登録を促しています。
しかーし!ここに矛盾点が。
①諮問機関のIUCNやイコモスの段階で、「これは世界遺産として登録するためには改善点がある」と結論付けていたのに、
②その後の、世界遺産員会では「よし、登録!」と前段階と逆の結果になる逆転登録が頻発!(超要約)
なんでこんなこと起きるの~っていうと、さっき説明したグローバル・ストラテジーが背景にあるんですよ。
つまり、専門機関に基づいた評価と、グローバル・ストラテジーに基づいた世界遺産委員会の評価のやり方に齟齬が生じてしまっているんです。
こうなってくると、もう世界遺産の登録プロセス自体に問題があるように思います。
もう一つ深刻な問題が、世界遺産委員会登録の場が、政治の影響を受けてしまっていることです。
委員国が自国の遺産に対して、都合のいいように働きかける等。
他にも危機にある遺産に対して使われる世界遺産基金(要は義援金)が不足しまくってるとか...
どこかで世界遺産の当事者たちがこのことに対して、真剣に考える機会が必要ですね。
日本の世界遺産問題
3つあります
もう1500字くらい書いて疲れたので、今日はこの辺にします。
アディオス!