- 今まで戦争調査会の議論に立ち入っていないが、本書では戦争調査会の資料全15巻を読み解く。
- 我々は史料から歴史の教訓を読み取る。
Ⅰ戦争調査会の始動
- 1945年8月15日、幣原は電車の中で敗戦に対する国民の憤慨を聞く。
- これをきっかけに組閣後、「戦争調査会」を設置。
様々な知識人の戦争原因
戦争調査会3つの方針
- 戦争原因の追究
- 平和国家の建設
- 多様な手法で調査
Ⅱ戦争調査会は何を調査するのか?
- 「公募」による調査➡全く役に立たず。
- 渡辺銕蔵の発言「なぜ、日本はドイツが降伏した後、戦争をやめられなかった...普通に考えれば、アメリカに負けるでしょ!?」
- 芦田均のやる気➡GHQ関係(は戦争調査会)を不安視。
- GHQは戦争調査会が帝国国家として「新国家の建設」を画策しているではないかと思う。➡戦争調査会はGHQは監視下、マッカーサーに抵触されないよう進行。
Ⅲ戦争回避の可能性を求めて
- 第三部会で三人の経済知識人が登場。財政経済の観点について、五つの戦争原因を提唱。➡これを渡辺銕蔵が反論。
Ⅳ未完の国家プロジェクト
- 対日理事会(公開された)
メンバー・・・アチソン(米)、ソ連、中、英
対立構図➡米VS英、ソ / 中(中立)
- 戦争調査会は、英・ソの反対(存在)により解散となる。
- 米は戦争調査会を擁護する立場であったが、他国と足並みをそろえなければならなかった。
P.110 尾佐竹「主観のない歴史はあり得ない」
Ⅴ戦争の起源
- 大正期、軍人は蔑視されていた
- デモクラシーの影響で軍縮は不可避
- ロンドン海軍軍縮条約に批准
デモクラシーは極致に達するが、戦争への種子もまかれていった。
Ⅵ戦争と平和の間
➡しかし、積極政策・緊縮財政を覆すことになるので断念(井上準之助等の反対)
➡林銑十郎ではどうにもならず。
Ⅶ日中戦争から日米開戦へ
➡近衛「国民政府を対手とせず」➡日中の和平は困難になる
➡しかし、南部仏印進駐は米を刺激し、資産凍結に発展。
- 野村駐米大使の日米了解案と松岡外交の齟齬。
- 松岡は自ら首相になり、米と交渉しようとした...?
Ⅷ戦争現実
➡特許期限切れのアンテナ技術を敵国が使用。
- 悲惨な工場で労働➡モチベーションの低下(効率)
まとめ
- 歴史研究、活用されなかった戦争調査会史料 etc...
以上です。ではではー